月面輸送、小型SAR衛星コンステレーション、軌道上サービス(スペースデブリ除去)——日本発の「ニュースペース」を代表する3社は、いずれも東証グロース市場に上場しながら、狙う事業領域がまったく異なる。ispaceは月着陸船で月面へ荷物を運ぶ「輸送業」、Synspectiveは自前の小型SAR衛星群で地表データを売る「観測業」、アストロスケールは軌道上のデブリや故障衛星を捕獲・除去する「保守業」——それぞれが世界でもほぼ前例のない事業モデルを切り拓いている。3社とも上場後も巨額の営業赤字を計上し続けているが、2025〜2026年にかけて共通して防衛省・宇宙戦略基金といった政府需要を収益源に組み込み始めている点は、3社を貫く構造的な変化である。
画像: ispaceロゴ / アストロスケールロゴ(いずれもパブリックドメイン、商標権は別途存在)、Wikimedia Commons。Synspectiveについては著作権基準を満たす形でCommonsに登録されたロゴ画像が見つからなかったため、本文中での言及にとどめる。
企業の歴史: XPRIZEチームから月面輸送業へ、慶應発SAR衛星、シンガポール創業のデブリ除去
ispaceの起点は2010年9月1日、Google Lunar XPRIZE(民間月面探査レース)に参加する日本チーム「HAKUTO」の運営母体として設立されたことにさかのぼる。創業者の袴田武史はジョージア工科大学で航空宇宙工学修士を取得後、外資系コンサルティングファームを経てHAKUTOを率いた。2018年にXPRIZEが受賞者不在のまま終了した後も、ispaceは独自の月面探査プログラム「HAKUTO-R」として事業を継続し、2022年12月にミッション1のランダー(月着陸船)をフロリダから打ち上げた。2023年4月12日、東証グロース市場に日本の宇宙ベンチャーとして初めて上場し、約65億1,000万円を調達した。
Synspectiveは2018年2月22日、新井元行(慶應義塾大学出身、東京大学工学系研究科博士)らによって設立された、慶應義塾大学発スタートアップである。創業から3年弱で小型SAR(合成開口レーダー)衛星の初号機「StriX-α」を打ち上げ、2022年に技術実証機「StriX-β」、2023年3月に商用初号機「StriX-1」を軌道投入した。2024年12月19日に東証グロース市場に上場し(公開価格480円に対し初値736円、上場時時価総額約519億6,000万円)、調達額117億6,000万円の全額を設備・運転資金に充当している。
アストロスケールは2013年5月、岡田光信によってシンガポールでASTROSCALE PTE. LTDとして創業された。当初からシンガポール・日本・英国・米国など複数国での事業展開を志向し、その後本社機能を東京へ移し、2023年5月には創業10周年を機に東京・錦糸町へ新本社を移転、一般見学施設「オービタリウム」や、小惑星探査機「はやぶさ」規模の衛星を最大4基同時製造できるクリーンルームを備えた。2024年6月5日、東証グロース市場に上場(公開価格850円、上場時時価総額約800億円)、約113億円を調達している。3社の中で創業が最も早く、上場は最も遅かったことになる。
企業規模の比較: 上場前後の業績推移(直近4〜5期)
3社とも上場から日が浅いニュースペース企業であり、いずれも一貫して営業赤字を計上している。単年度の黒字化よりも「売上高の伸び」と「赤字の質(先行投資か構造的な赤字か)」で成長段階を比較するのが実態に即している。
| 決算期 | ispace 売上高 | ispace 営業損益 |
|---|---|---|
| 2022年3月期 | 6億7,414万円 | ▲40億5,666万円 |
| 2023年3月期 | 9億8,924万円 | ▲110億2,390万円 |
| 2024年3月期 | 23億5,705万円 | ▲55億169万円 |
| 2025年3月期 | 47億4,323万円 | ▲97億9,514万円 |
| 2026年3月期 | 33億709万円(前期比30.3%減) | ▲115億8,006万円 |
| 決算期 | Synspective 売上高 | Synspective 営業損益 |
|---|---|---|
| 2023年12月期 | 13億8,628万円 | ▲17億9,592万円 |
| 2024年12月期 | 23億1,664万円 | ▲30億7,020万円 |
| 2025年12月期 | 23億7,600万円 | ▲41億3,700万円 |
| 2026年12月期(会社予想) | 63億5,300万円 | ▲54億6,700万円 |
| 決算期 | アストロスケール 売上収益 | アストロスケール 営業損益 |
|---|---|---|
| 2023年4月期 | 17億9,299万円 | ▲96億6,562万円 |
| 2024年4月期 | 28億5,256万円(前期比59.1%増) | ▲115億5,572万円 |
| 2025年4月期 | 24億5,695万円(減収) | ▲187億5,500万円 |
| 2026年4月期 | 59億4,061万円(前期比141.8%増) | ▲99億7,500万円 |
| 指標 | ispace | Synspective | アストロスケール |
|---|---|---|---|
| 上場日 | 2023年4月12日(東証グロース) | 2024年12月19日(東証グロース) | 2024年6月5日(東証グロース) |
| 証券コード | 9348 | 290A | 186A |
| 従業員数 | 連結約330名(2026年3月末、日本・ルクセンブルク・米国3拠点) | 約200名(2024年時点、公表値の更新は限定的) | 約500名(うち約7割がエンジニア、約2/3が海外) |
ispaceは2026年3月期に売上高が前期比30.3%減という唯一の減収を記録した唯一の企業である。これはミッション3のランダー(APEX 1.0)のエンジン開発遅延と、顧客からの支払い遅延が主因で、月面輸送という単一ミッションへの依存度の高さがそのまま業績変動に直結する構造を映している。Synspectiveは4期連続で増収を続け、2025年12月期は売上総利益がほぼゼロ(2億1,452万円→776万円)まで落ち込んだが、これは衛星コンステレーション構築に向けた先行投資によるもので、2026年12月期は受注残高の急拡大(前期末比+196億円、2025年12月期末で249億6,000万円)を背景に売上高2.7倍を計画している。アストロスケールは2025年4月期に一時的な減収を挟んだものの、2026年4月期第3四半期には創業以来初めて売上総利益が黒字化しており、3社のうち最も収益化に近づいている。
主力製品・事業の比較
3社は競合関係にはなく、月面・地球観測・軌道上サービスという異なる事業領域を担う。
ispace: 月着陸船とミッションの変遷
| 項目 | ミッション1 | ミッション2「RESILIENCE」 | ミッション3「APEX 1.0」 |
|---|---|---|---|
| 打上げ | 2022年12月(スペースX ファルコン9) | 2025年1月15日 | 2026年打上げ予定 |
| 結果 | 2023年4月、着陸直前に高度センサーの誤作動で通信途絶(着陸失敗) | 2025年6月6日、着陸直前のマイルストーン9でレーザー高度計の不具合により着陸失敗 | 米ispace-U.S.主導。NASAアルテミス計画への貢献を見据えた高精度着陸を目指す |
| 搭載物 | 小型月面ローバー(SORA-Q協力等) | ispace EUROPE製マイクロローバー「TENACIOUS」(高さ26cm・幅31.5cm・全長54cm・重量約5kg、レゴリス採取) | ランダー設計はSeries 2から改良、APEXへ名称変更 |
ispaceは2度の着陸ミッションでいずれも着陸直前に失敗しており、月面着陸という技術的難度の高さを物語る。2度の失敗を踏まえ、ミッション3では設計を見直したAPEX 1.0ランダーで3度目の着陸に挑む計画である。
Synspective: StriX小型SAR衛星とデータ・ソリューション
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 衛星 | 「StriX」シリーズ、100kg級、従来の大型SAR衛星比で重量約1/10・製造/打上げコスト約1/20 |
| 撮像モード | ストリップマップ、スライディングスポットライト、ステアリングスポットライト |
| 分解能 | スライディングスポットライトで地上レンジ・方位分解能とも0.9m、高分解能モードで0.46m×0.5m |
| データ・ソリューション | 「浸水被害把握」(浸水域・浸水深・道路/建物被害)、「地盤変動モニタリング」(ミリ単位の地表変位を時系列表示) |
| コンステレーション計画 | 2020年代後半に約30機体制を目指す量産・打上げ計画 |
SAR(合成開口レーダー)はレーダー波を使うため、光学衛星と異なり夜間・曇天・雨天でも観測できる。Synspectiveは衛星を小型・量産型にすることで機数を増やし、同一地点への再訪頻度(観測頻度)を高める戦略を取る。
アストロスケール: 軌道上サービスの実証から商用化へ
| 項目 | ELSA-d | ADRAS-J / ADRAS-J2 | ELSA-M |
|---|---|---|---|
| 位置づけ | 実証(2021年) | JAXA商業デブリ除去実証(CRD2)フェーズI/II | 商用デブリ除去サービス(OneWeb向け) |
| 内容 | 磁気ドッキングプレートによる捕獲機構の実証 | 実在する大型デブリ(全長約11m・直径約4m・重量約3トンの日本ロケット上段)へ接近、約15mまで近接した世界初の実証に成功 | 実証で得た技術を商用衛星のデブリ除去へ展開 |
| 事業段階 | 実証完了 | 実証(J)→除去実証(J2)へ移行中 | 商業運用移行 |
アストロスケールはデブリ除去(ADR)・寿命延長(LEX)・点検・観測(ISSA)という複数の「軌道上サービス」を並行開発しており、単一ミッションの失敗が業績全体を毀損しにくい設計を志向している。2025年には防衛省から約72億7,000万円規模の衛星試作契約を受注し、防衛・安全保障分野にも本格参入した。
技術戦略・強みの違い
3社の技術戦略は、狙う市場の構造そのものが異なるため直接比較しづらいが、それぞれの「勝ち筋」は明確である。
ispaceの強みは月着陸船の自社設計・開発能力そのものであり、日本・ルクセンブルク・米国3拠点体制で開発を分業する(米国拠点ispace-U.S.がミッション3を主導し、NASA関連の窓口を担う)。中期ビジョン「Cislunar Digital Twin 2030構想」では、2027年以降に月周回衛星を投入し2030年までに少なくとも5基体制とする「ルナ・コネクト」通信・データサービスを構想しており、月面輸送という単発ミッションのビジネスから、月周回のインフラ事業への転換を目指す。ただし2度の着陸失敗が示す通り、技術的な実証はまだ道半ばである。
Synspectiveの強みは衛星の小型・量産設計にある。従来の大型SAR衛星に比べ重量約1/10・コスト約1/20という数値が象徴するように、機体を軽量化・規格化することで機数を増やし、同一地点の再訪頻度を上げる「数で稼ぐ」戦略を取る。2024年に稼働を始めた自社量産拠点「ヤマトテクノロジーセンター」はこの戦略を支える生産基盤であり、防衛省の衛星コンステレーション整備事業(5年間で総額2,831億円規模、QPS研究所・アクセルスペースと並ぶ採択企業)への参画は、民生データ販売に次ぐ第二の収益の柱として位置づけられる。
アストロスケールの強みは、軌道上サービスという新市場でエンドツーエンド(捕獲・除去・寿命延長・点検)の技術を垂直統合している点にある。ELSA-d→ADRAS-J→ADRAS-J2→ELSA-Mという段階的な実証から商用化への移行を着実に踏んでおり、OneWebのような衛星コンステレーション事業者を顧客に取り込むことで、政府ミッションと民間ミッションの両輪で収益源を分散させている。2026年4月期第3四半期に創業以来初めて売上総利益を黒字化させた点は、3社の中で最も事業モデルの実証が進んでいることを示す。
開発・製造拠点
3社とも大企業のような広範な生産拠点網は持たず、国内は本社機能に集約されている一方、海外展開の形が異なる。ispaceは日本・ルクセンブルク・米国の3極体制、Synspectiveは東京本社・ヤマトテクノロジーセンター(神奈川県大和市)・シンガポール拠点、アストロスケールは東京本社に加えて英国・米国・フランス・イスラエル・シンガポールと最も広範な海外拠点網を持つ。国内で確認できる拠点を地図に示す(海外拠点は本文で言及するにとどめる)。
出典: ispaceは公式発表(2026年3月開設の新本社「Earth Base」、東京都中央区日本橋本町)。Synspectiveは公式サイト会社概要(東京都江東区)およびヤマトテクノロジーセンター稼働に関するプレスリリース(神奈川県大和市)。アストロスケールは公式発表による新本社所在地(東京都墨田区錦糸)。座標はOpenStreetMap Nominatimによる町丁目単位のジオコーディング(いずれも建物単位の一次データが得られなかったため町丁目centroidを使用)。3社とも国内拠点は本社機能が中心で、海外拠点(ispace: 米国・ルクセンブルク、Synspective: シンガポール、アストロスケール: 米国・英国・フランス・イスラエル・シンガポール)は地図の対象外。
事業戦略・今後の展望
ispaceは長期ビジョン「Moon Valley 2040構想」(月と地球を1つの経済圏とする)の実現に向け、中期ビジョン「Cislunar Digital Twin 2030構想」を掲げる。2026年打上げ予定のミッション3(APEX 1.0)でNASAアルテミス計画への貢献を目指すと同時に、2027年度以降は年3回の高頻度月面輸送を可能にする体制構築を計画しており、2030年までに月周回衛星を少なくとも5基投入して「ルナ・コネクト」通信・データサービスを事業化する構想を持つ。2025年10〜11月には公募増資・第三者割当増資で182億円を調達しており、2度の着陸失敗を乗り越えられるかが2026年最大の焦点である。
Synspectiveは2025年12月期決算で受注残高が249億6,000万円(前期末比+196億円)に急拡大したことを背景に、2026年12月期は売上高を前期比2.7倍の63億5,300万円と計画する。防衛省の衛星コンステレーション整備・運営等事業への参画、内閣府「宇宙戦略基金」からの支援(支援予定上限額237億9,000万円を公表)を通じ、民生データ販売に加えて政府・安全保障向け需要を成長エンジンとする方針を明確にしている。米国での事業活動も活発化させており、新規収益機会の創出を目指す。
アストロスケールは2030年までに軌道上サービスを「日常的なもの」にし、2035年までに循環型の宇宙経済(サステナブルな宇宙開発)を実現するという長期目標を掲げる。ELSA-d・ADRAS-Jで実証フェーズを終え、ELSA-M・ADRAS-J2で商業運用へ移行する過渡期にあり、2025年の防衛省契約(約72億7,000万円)を含む複数の収益源を並走させることで単一ミッションのリスクを分散する設計を取る。2026年4月期第3四半期に創業以来初の売上総利益黒字化を達成したことは、軌道上サービスという新市場の経済的価値を顧客に証明しつつあることを示しており、2027年4月期については9期連続の最終赤字が見込まれるものの、赤字幅は縮小基調にある。
参考リンク
- ispace 公式サイト / IR情報
- Synspective 公式サイト / 会社概要
- アストロスケール 公式サイト / IR情報
- ispace、東証グロース上場 - 日本経済新聞
- ispace、2026年3月期 通期決算を発表 - PR TIMES
- ispaceの26年3月期、売上高28%減に下振れ エンジン開発遅れる - 日本経済新聞
- IRBANK ispace 業績
- Synspective、東証グロースに新規上場 - 慶應スタートアップ
- Synspective、小型SAR衛星の量産工場「ヤマトテクノロジーセンター」本格稼働開始 - PR TIMES
- Synspective、受注残高が前期末比+196億円と急拡大 - ログミーファイナンス
- 防衛省「衛星コンステレーション整備・運営等事業」特別目的会社設立に関するお知らせ - Synspective
- IRBANK Synspective 業績
- アストロスケールホールディングス、東証グロース上場承認 - 日本経済新聞
- アストロスケールが新本社を公開、衛星を生産するクリーンルームの見学も可能 - MONOist
- アストロスケールの商業デブリ除去実証衛星「ADRAS-J」、デブリから約15mの距離まで接近に成功 - PR TIMES
- IRBANK アストロスケールHD 業績